ぽれぽれっと。

出会いがしらに感じたまま。
へっぽこヴォーカリストの日々徒然。

■過去ログ(2004年8月〜2009年12月)
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■ 持病の話。

実家へのUターンで何が困ったかっていうと病院のこと。

病院嫌いで大病もせずな私だったのに、気がつけば病院と縁が切れなくなっている。

 

福岡で3つの病院に定期的に通院をしていて、その転院先を見つけなきゃいけないのだけど、やっぱり福岡に比べて病院が少ない。

人口比率でいっても仕方ないことなのだけど。

結局、眼科と婦人科は結論が出せず、当面は福岡に通院することにした。

 

ただシェーグレン症候群と膵炎の予後についてはさすがに福岡というわけにいかない。

叔母の友人に膠原病の専門医を教えてもらったので、そこへ通うことにした。

 

なんだかなぁ...

こんな風に持病の一つ一つ、それぞれに病院を探さなきゃいけないっていうのがすこぶる面倒くさい。

イギリスみたいな総合診療医のシステムだったらいいのにな。

 

◆  ◆  ◆

 

で、新しい病院で久しぶりにシェーグレン症候群の血液検査をしたのだけど...

数値がぶっ飛んでいた。

 

抗核抗体:1,280倍

抗SS-A抗体:1,200.0以上

抗SS-B抗体:1,000.0以上

 

医師曰く「果てしなく高い」とのこと。

「以上」ってことは、検査できる上限値を振り切っている、ということか。

でも、だからどうなる、ということはわからない。

 

2006年の発覚当時しっかり4,000台あった白血球数が、2年くらい前から2,000も切っていて、今回は1,700。

細菌やウイルスと戦う力が弱いから、感染症やこれからの季節は食べ物にも気をつけるようにとのこと。

口内炎が出来るとなかなか治らなかったりするのもこのためらしい。

 

SS-A,SS-B,Ig-Gと白血球数減少の関係もしっかり説明してくださって、頼りなかった前の医師よりはいい感じ。

 

原因のわからない難病には予防も治療もない。

あるのは発現する症状への対症療法と、「心がけ」とか或いは起こりうる事態に対する「心の準備」みたいな茫漠としたものだけ。

だからこそきちんと相談できる医師が必要なのだと改めて思う。
よろしく先生。

 

 

※ちなみに2011年の数値

抗SS-A抗体:151.0

抗SS-B抗体:93.8

 

◆  ◆  ◆

 

あと緑内障のこと。

 

一昨年の夏頃、テレビの健康番組でやってた緑内障を見つける周辺視野テストで気づいて、母や叔母も緑内障だったから早く眼科に行かなきゃと思いつつ、ようやく去年2017年3月、眼科に行って検査をしたらやっぱり両眼とも緑内障になってた。

右のほうが重症。

 

緑内障の治療は、眼圧をコントロールして進行を抑えること。

死んだ視神経は二度と戻らないのだ。

 

目薬キサラタンを1日1回点眼、それだけだ。

 

点眼後2〜5分くらい目頭を押さえて目を閉じてなきゃいけないので、外郎を売っている。

私の「外郎売り」はだいたい4分くらいだからね、ちょうど良い。

 

叔母の緑内障は重症で、何度か手術したけど進行がなかなか抑えられず、中心部の視野欠損が広がっている。

発症から10年くらいで進行が激化し始めたという。

とにかく真面目に点眼を続けなきゃ。

 

前回、2月の通院時の眼圧は両眼とも10。

よくコントロールできているとのこと。

 

◆  ◆  ◆

 

そして婦人科について。

 

2016年9月に受けたガン健診で「子宮頸部異形成」と診断されて、以後、細胞診などの経過観察を続けていたのだけど、直近2017年7月の段階でまだ消えていなかった。

その次の検査が2017年12月の予定だったけど、実家への移転などでキャンセルしたままになっている。

さて、福岡での検査を続けるか、こちらで病院を探すか、放置するか。

やっぱり放置はまずいだろうなぁ...

 

 

以上、今日は重めの話でごめんなさい。

 

| comments(0) | - | 01:03 | category: カラダのこと |
■ 浦島太郎な日々。

引越し荷物もどうにか8割がた納まって、

父との生活にも少しずつ慣れてきて、

そんな感じの今日この頃、

ようやく雇用保険の給付手続きに。

 

しかし、

市内にあったはずのハローワークが、ない。

 

隣の市まで行かなきゃいけなくなったらしい。

それがまた分かりにくい場所で。

 

何をするにもどこに行くにも

浦島太郎感を味わうことばかり。

 

建物が綺麗になっていたり

店が変わっていたり

広い道が出来て景色が変わっていたり

 

昔々私はここでどうやって生活していたのだろう。

 

玉手箱は開けていないのに

白髪がどんどん伸びてくる。

 

 

 

| comments(0) | - | 22:03 | category: Diary |
■ その後。

休むためにバタバタと仕事を引き継いで先週末11月10日(金)の夜、帰省して担当医とのアポイント。

 

まずは、退院勧告の電話の日以降は不穏行動はなかったとの報告を受ける。

そして肺炎の方も、点滴を終了しても大丈夫なレベルまで回復していると。

 

月曜日の電話は何だったのだろうと思うくらいに、状況は好転していた。

ほんの4日前の、ある意味脅しと取れなくもないような退院勧告の電話を振り返ると、目の前の医師に対して何かしら引っかかりは感じはしたものの、「看取り」という言葉が遠のいていったことにまずはほっとする。

 

明日連れて帰ります。

 

そんなわけで土曜日に13日間の入院を経て自宅へ。

心配していた足腰の衰えもほとんど感じられず、家に着いた途端に庭の事が気になる様子でごそごそし始めた。

 

入院中、毎日のように3時間おきくらいに

「いつ迎えに来てくれる?」

「もう帰ろうと思う」
「何時に迎えに来る?」
そんな電話をしてきていたのだから、よっぽど嬉しかったのだろう。

ぱっと見、これなら一人暮らしを継続させられるかなと思うくらいに。

 

ただ、数日そばで見ているとアルツハイマーの影はもうかなり色濃くなっていて、日常の中のささやかな破綻は、私が福岡にいたから見ないで済んでいただけなのだなと改めて痛感させられて。

 

父本人は大丈夫だというけれど、私の方がだんだん離れがたい気持ちになってきた。

 

私が一緒に暮らしてほんの少しのサポートをする事で、父の生活を安全に安定したものにできる。

介護サービスを通して専門家にすべて委ねるレベルには達していない、この微妙な時期のサポートは、おそらく父の性格やこれまで生きてきた人生を知っている家族にしかできないこと。

 

ナンダカンダ言っても仕事は私でなくてもどうにかなっていく。

でも父のことに関しては私以外誰もいない、代えのきかない存在なのだ。

 

そうすると福岡を離れることで唯一心残りなのは、音楽活動だけ。

でも音楽は、その気になればどこでだってできるはず。

 

実家に戻ること。

山口で暮らすこと。

 

これからの人生をどう生きるかの選択だなと思う。

 

父の介護は、もしかしたら5年10年という長い年月になるかもしれないし、あっという間に終わってしまう可能性だってあるのかもしれない。

実家に戻る方に大きく振れてはいるけれど、それでも人生の拠点を移すことにはまだまだ迷いはある。

 

それでも、

後悔のない人生なんてきっとあり得ないのだけれど、それでも出来ることをしなかった後悔だけはしたくない。

そう思うと導き出される答えは1つしかないような気がしている。

 

 

 

| comments(0) | - | 01:00 | category: Diary |
■ 決断のとき。

昨日久しぶりにUPしたブログに

「決断の日はそう遠くない」

と書いたばかりなのだけど、

その日はもうやってきた。

 

夕方、病院から電話。

看護師から医師に代わる。

 

父が点滴を抜いてしまうとのこと。

それはすなわち治療拒否なのだと。

そうなれば入院させておくわけにいかないと。

 

実質の退院勧告だった。

 

レントゲンからの診断では肺炎の状態は悪化傾向と言わざるを得ないらしく、点滴ができない場合の経口投薬では、治療効果は格段に落ちるという。

この状態で自宅に戻った場合、長くて1〜2ヶ月だと。

 

「自宅での看取り」

そういう言葉も出た。

もうこの電話の間に私の気持ちは固まっていた気がする。

 

父を家に連れて帰ろう。

 

私の仕事のこと、住まいのこと、音楽のこと、いろいろあるけど、でも今は父に残された時間を、父の希望に寄り添って一緒に過ごしてあげたい。

 

上司に相談して、来週から無期限でお休みをいただくことに。

 

いつになるかわからないけど、いろんなことにカタがついたとき、本当に今の仕事に復帰できるのか、もちろん不安はあるけど、それでもいいじゃないかと思えてきた。

 

今すべきこと。

今しかできないこと。

それができる状況であること。

それはなんと幸せなことだろう。

 

先のことはわからないけれど

まずは父の元へ。

 

 

 

| comments(0) | - | 00:53 | category: 父。母。 |
■ 父の入院。

父がアルツハイマー病と診断され、

要介護1の介護認定を受け

介護サービスが始まって1年半。

 

常に何もないということはなく、

少しずつ認知症の様相を呈するようになってきて

それでもギリギリ何とか無事に

毎日を過ごしていたのだけれど、

先週、肺炎を起こして入院してしまった。

 

入院できてよかった。

それが私の本音だ。

 

でも同時に、脳神経外科の医師に

「毎日続けているからできている」

と言われている父の日常生活が

この入院を機に大きく変わることになるだろうという

漠然とした予感があり、
これから先どうなっていくのか
そのことへの不安がどんどん膨らんでくる。

 

今回入院の担当医からは、

もう一人暮らしはさせるべきでないと言われたし、

私も、父の身の安全を思えばもう

施設介護へ移行する潮時だと感じている。

 

ただ、本人の意思ということになると

間違いなく家に帰りたがるだろう。
自尊心からくる気難しさは、
これもひとつの症状なのだと思うけれど
なかなかに手強い。
おそらく自覚もあると思われ、
己に対する腹立たしさもあるのだろう。
自分が認知症と断じられることは
受け入れがたく、信じたくないに違いない。
それを思うと切なくも悲しくもあるけれど
でも私の立場からは、リスクの高い一人暮らしを
もう許せる状況にないなと思うのだ。
ただ、
出戻りの一人娘である私には
相談する相手もいなくて
それが正解なのか、わからない。
自分が安心したいだけなのではないか。
自分が楽になりたいだけなのではないか。
自分を責める思いは日に日に増してくる。
退院の時期はまだ見えていないけれど
いずれにしろ決断の日はそう遠くない。
| comments(0) | - | 17:19 | category: 父。母。 |
■ 食べること。

人生初の入院は正味11日間で終わり、

4月28日(金)に無事退院しました。

 

7日間の絶飲食・24時間点滴から解放されてからは、ほとんど痛みもなく極めて順調で、こんなにのんびり仕事サボってていいのかな的な感じで楽しげに過ごしておりました。

 

そしてめでたく自由の身!

と思いきや、食事制限という重たい足枷が。

 

アルコール禁止は当然として、

脂質と塩分の制限がかなり厳しくて、これまでみたいな自由気ままな食生活は絶対NG。

 

*脂質:30g以下/日

*塩分:6g未満/日

*タンパク質:70〜90g/日

*炭水化物:300〜400g/日

*エネルギー:1,700〜1,800kcal/日

 

この1年8ヶ月くらい、夜だけゆるーく糖質制限をしていたのだけど、退院前日に受けた栄養指導では、その方向性が180度違う、ほぼ真逆な感じなわけです。

 

糖質制限では、炭水化物を減らす代わりに脂質の制限がなかったから、食生活のストレスをためないために、油やカロリーは気にしない方針にしていて、だからごはんの代わりに満腹になるまでおかず類を食べてたのです。

それって結局、炭水化物の代わりにそれ以外のもの、つまり脂質も倍くらい摂ってたってこと。

 

今回の急性膵炎は、素人考えで言っちゃいけないのだろうけど、でも家で毎日お酒を飲むという習慣がない私の場合は、どちらかというと毎日の食事での脂質過剰が何かしら影響してたと思ってしまうのです。

 

かくして食生活の立て直しが必須課題となり、このGWは実家への帰省をやめて、とにかく食べることと歌うことだけ考える5連休を過ごしています。

 

3食すべてをきっちり作るなんて生活は、多分初めて一人暮らしを始めたとき、生活費がどれくらいかかるかわからなくて、食費も極力切り詰めて、ちゃんとお弁当も作ってた頃だけだから、25年くらいぶり。

 

何を食べるか。

どう調理するのか。

食材の使い回しや、なるべく効率よく切り盛りするためのメニュー構成。

 

ホント頭を使います。

 

GWあけて仕事が本格的に通常モードに戻ったら、なかなかきっちりとはいかないと思うけど、とにかくあの激痛は繰り返したくないという一点で、頑張れるかなぁ...

 

念のため書いておくと、お酒に関しては、強いがために少々飲んだところで「酔ってフワフワ楽しくなっちゃう」みたいなこともあんまりなくて、お酒飲んでる時でも「別にアルコールじゃなくてもいいんじゃない?」とか思っていたような私なので、禁酒だ断酒だと言われても特別ツライとか思ってないのです。

 

飲めないから誘えない、なんて思われる方がよっぽどツライ。

 

私は水分さえあればOKです。

だからこれからも一緒に飲みましょうね。

 

| comments(0) | - | 18:08 | category: カラダのこと |
■ 人生初の。

半世紀を超えて生きてきてもまだ

「人生初」は訪れる。

 

それも唐突に。

 

「入院ですね、2週間」

 

急性膵炎で

人生初の入院生活

本日3日目。

 

膵臓ってそんなところにあったんだ...

 

なんて感じの私は初め

胃けいれんだと思っていて

胃カメラのんで

 

あ、胃カメラも人生初だった。

でも眠ってる間にやってもらったから

マウスピースくわえたところから先は記憶ない...

 

で何の所見もなく

言ってみれば「美しすぎる胃」

で、それから血液検査して発覚。

 

七転八倒の大激痛から約1日半で

やっとその正体がわかったのでした。

 

まず1週間の絶飲食と

24時間点滴

 

まだちょっと痛かったり

ムカムカしたり

眠くなったりするけど

 

ヒマなんです。

 

なので、以下は発覚までの1日半の道のりを、自分の記録としてつらつらと書いてみますので、つづきはおヒマな方だけ読んでください。

 

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| comments(0) | - | 19:11 | category: カラダのこと |
■ 今年のあれこれ。

激動の2016年がゆく。

その締めくくりが...

 

帰省中に大転倒して

予想外の大怪我をして

病院で縫合されるという

とんでもないことに。

 

骨に異常はなかったものの、

ホッチキスで10回くらい

バチバチされてしまった。

 

実家に帰って掃除やら買出しやら

お節ももう1〜2品作りたいなと

思っていたのだけど

すべてのやる気が

どこかにすっ飛んでいったよ。

 

ねぇ神様、私、

今年は結構頑張ったと思うんだけど

足りなかった?

 

なんてやさぐれていたら

神様のように優しい方から

このお正月はゆっくりしろということだよと言われて

ちょっと救われた気分。

 

ってわけで家事は父に任せたまま

久しぶりにこちらのブログを更新。

2016年を振り返ってみようかな。

 

今年は本当に色々あった、と思う。

 

父にまつわるあれこれ。

すべてを捨てて一緒に生きていこうと

思っていた人との別れ。

仕事の充実...というか激務化。

そして久しぶりに飲んで話したいなと

思っていた人の突然の訃報。

 

正直キツイことはホントに多かった。

夜中に胃痙攣を起こしたりもした。

 

でもそんな中でも

音楽活動が続けられたことや

どの場面でも優しい人たちに

囲まれているのを実感できていることや

そんなこんなで

実はこの4〜5年でいちばん

幸せを感じていたりする。

 

来年は何が起こるだろうな。

 

不安の種もあるにはあるけど

今年を乗り切れた自信からか

ワクワクする気持ちの方が圧倒的に大きい。

 

父とあと何回お正月を迎えられるのか

もうカウントダウンは

始まっているのだから

何もしてあげられないけど

一緒に過ごす時間は大切にしたいと思う。

 

 

服薬は1日1錠アリセプト5mgを継続。

週2回のヘルパー来訪と

週1回のデイサービス

そして私が月1回帰省して病院に連れて行く。

 

物忘れや判断力の低下はもちろん回復するわけではないけれど、それでもまだまだきちんと意志を持って生活をクリエイトしている父の一人暮らしは、まだしばらくは続けられそう。

 

Thank you all.

 

| comments(0) | - | 22:17 | category: Diary |
■ 父の後ろ姿。

介護サービスがスタートして2週間。

木曜日のデイサービスと金曜日のヘルーパーさんによる生活支援は、まぁ問題なく動き出したのだけれど、月曜日のヘルパーさんとの買い物がダメだった。

 

車がなくなったことで買い物が不便になったことを心配して、父の買い物に同行してもらえるようプランを組んだのだけれど、これに父が反発してきたのだ。

 

そんなことしてもらわなくてもちゃんと自分で買い物できるのだと。

 

仕事中でバタバタしてたのと、電話でゴネる父にちょっと頭にきたのもあってそのまま放置してたら、来てくださったヘルパーさんに自分で断ってしまったらしい。

ケアマネさんからすぐ報告があった。

 

ふう。

 

結局月曜日は、父が頼んだ場合のみ「同行」ではなく「代行」で、ヘルパーさんに買い物してきてもらう形に変更をした。

 

買い物同行は介護保険対象外かと思われたのだけど、ケアマネさんが市の担当者と協議してくださって、買い物を安全に遂行させるための介助ということで「身体介護」として介護保険サービス内で受けてもらえることになったプランだったのにな。

 

でもそれは私の心配を押し付けてただけだったのかも。

 

本人が自分の意思で、自分で努力してなんとかしようとしていることに関しては、いくら心配でも黙って見守るしかないことを改めて痛感した。

 

帰省するたびに、私が作ったバスの乗り方のファイルやあちこちに貼り付けた生活のためのメモを一生懸命活用してくれている形跡があって、それを見ていると泣きそうになる。

 

物忘れや、うまく処理できなくなってしまった色んなことに向き合いながらも、負けずにしっかり生活している姿は、やっぱりまだまだかなわないなと頼もしくも思う。

 

そして私に対して「ありがとう」と言うことがすごく多くなったように感じる。

 

そんな父の姿をしっかり胸に焼き付けておこうと思う。

| comments(0) | - | 23:53 | category: 父。母。 |
■ 介護サービススタート。
5月17日に介護認定が出て
5月28日にケアマネージャーさんとケアプランの相談をして
6月7日にサービス担当者会議を開いて

そして今日6月9日、父の介護サービスがスタート。
初めてのデイサービスでした。

ケアプラン策定の段階では
「そんなことしてもらわなくていい」
とか
「それでなくても家のことやら庭のことで忙しいのに、時間を決められて拘束されるのは嫌だ」
とかまぁ、かなりの拒絶姿勢を見せたりしてたので、やっぱりちょっと不安だったのだけど、

昼前にケアマネージャーさんがお迎えの時や午前中の様子を報告してくださって、夕方父に電話したら声も明るくて、とにかく無事にスタートが切れたかなとホッと一安心。

あとはヘルパーさんに馴染んでもらえたら父の生活の不安がかなり減るので、私も月1回帰省するパターンで自分の生活リズムを取り戻せそう。

さてこれからの父の1週間は
月曜日:ヘルパーさんとお買い物
木曜日:デイサービス
金曜日:ヘルパーさんの家事援助
という3つが軸になります。

これに加えて父が自主的に、地域主催のサロンとか市が主催するセミナーとかに参加していて、それぞれ月1回なんだけど3つあればほぼ毎週何かあるみたいな感じで。

そして月1回の脳神経外科への通院。

もちろん一人暮らしなので日常の家事は全て一人でこなすし、ゴミ7分別というのも大変そうだし、庭も手を抜くとあっという間に雑草が生えてくる。

こんなに忙しかったらボケる暇ないですね(爆)

でもいいのです。
それこそが目的なのです。
「しないでいいよ」と言ってしなくなったら、あっという間に何も出来なくなりそうだから。


事務的な面は、サービス担当者会議のときに介護サービス業者ごとに重要事項の説明を受けて契約書を交わし
「居宅サービス計画書」
「6月分サービス利用票」

に私が署名捺印して完了。

「サービス利用票」は今後毎月、私が帰省したときに翌月分に署名捺印しなきゃいけないらしい。

「へぇ」と思ったのが、サービス料の支払い方法の選択に銀行引き落としがなかったこと。
業者によるのか地域の特性なのかわかんないけど、現金払い(集金)か銀行振込の2択だったのです。
お金の管理や支払うという行動も、当然出来る限り父本人にさせたいので父からの現金払いということにしたけれど、離れて暮している私にはちょっと不便な気がします。

父にとっても私にとっても、何はともあれスタートを切ったロックの日でした。
| comments(0) | - | 01:38 | category: 父。母。 |
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