ぽれぽれっと。

出会いがしらに感じたまま。
へっぽこヴォーカリストの日々徒然。

■過去ログ(2004年8月〜2009年12月)
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■ 父の後ろ姿。

介護サービスがスタートして2週間。

木曜日のデイサービスと金曜日のヘルーパーさんによる生活支援は、まぁ問題なく動き出したのだけれど、月曜日のヘルパーさんとの買い物がダメだった。

 

車がなくなったことで買い物が不便になったことを心配して、父の買い物に同行してもらえるようプランを組んだのだけれど、これに父が反発してきたのだ。

 

そんなことしてもらわなくてもちゃんと自分で買い物できるのだと。

 

仕事中でバタバタしてたのと、電話でゴネる父にちょっと頭にきたのもあってそのまま放置してたら、来てくださったヘルパーさんに自分で断ってしまったらしい。

ケアマネさんからすぐ報告があった。

 

ふう。

 

結局月曜日は、父が頼んだ場合のみ「同行」ではなく「代行」で、ヘルパーさんに買い物してきてもらう形に変更をした。

 

買い物同行は介護保険対象外かと思われたのだけど、ケアマネさんが市の担当者と協議してくださって、買い物を安全に遂行させるための介助ということで「身体介護」として介護保険サービス内で受けてもらえることになったプランだったのにな。

 

でもそれは私の心配を押し付けてただけだったのかも。

 

本人が自分の意思で、自分で努力してなんとかしようとしていることに関しては、いくら心配でも黙って見守るしかないことを改めて痛感した。

 

帰省するたびに、私が作ったバスの乗り方のファイルやあちこちに貼り付けた生活のためのメモを一生懸命活用してくれている形跡があって、それを見ていると泣きそうになる。

 

物忘れや、うまく処理できなくなってしまった色んなことに向き合いながらも、負けずにしっかり生活している姿は、やっぱりまだまだかなわないなと頼もしくも思う。

 

そして私に対して「ありがとう」と言うことがすごく多くなったように感じる。

 

そんな父の姿をしっかり胸に焼き付けておこうと思う。

| comments(0) | - | 23:53 | category: 父。母。 |
■ 介護サービススタート。
5月17日に介護認定が出て
5月28日にケアマネージャーさんとケアプランの相談をして
6月7日にサービス担当者会議を開いて

そして今日6月9日、父の介護サービスがスタート。
初めてのデイサービスでした。

ケアプラン策定の段階では
「そんなことしてもらわなくていい」
とか
「それでなくても家のことやら庭のことで忙しいのに、時間を決められて拘束されるのは嫌だ」
とかまぁ、かなりの拒絶姿勢を見せたりしてたので、やっぱりちょっと不安だったのだけど、

昼前にケアマネージャーさんがお迎えの時や午前中の様子を報告してくださって、夕方父に電話したら声も明るくて、とにかく無事にスタートが切れたかなとホッと一安心。

あとはヘルパーさんに馴染んでもらえたら父の生活の不安がかなり減るので、私も月1回帰省するパターンで自分の生活リズムを取り戻せそう。

さてこれからの父の1週間は
月曜日:ヘルパーさんとお買い物
木曜日:デイサービス
金曜日:ヘルパーさんの家事援助
という3つが軸になります。

これに加えて父が自主的に、地域主催のサロンとか市が主催するセミナーとかに参加していて、それぞれ月1回なんだけど3つあればほぼ毎週何かあるみたいな感じで。

そして月1回の脳神経外科への通院。

もちろん一人暮らしなので日常の家事は全て一人でこなすし、ゴミ7分別というのも大変そうだし、庭も手を抜くとあっという間に雑草が生えてくる。

こんなに忙しかったらボケる暇ないですね(爆)

でもいいのです。
それこそが目的なのです。
「しないでいいよ」と言ってしなくなったら、あっという間に何も出来なくなりそうだから。


事務的な面は、サービス担当者会議のときに介護サービス業者ごとに重要事項の説明を受けて契約書を交わし
「居宅サービス計画書」
「6月分サービス利用票」

に私が署名捺印して完了。

「サービス利用票」は今後毎月、私が帰省したときに翌月分に署名捺印しなきゃいけないらしい。

「へぇ」と思ったのが、サービス料の支払い方法の選択に銀行引き落としがなかったこと。
業者によるのか地域の特性なのかわかんないけど、現金払い(集金)か銀行振込の2択だったのです。
お金の管理や支払うという行動も、当然出来る限り父本人にさせたいので父からの現金払いということにしたけれど、離れて暮している私にはちょっと不便な気がします。

父にとっても私にとっても、何はともあれスタートを切ったロックの日でした。
| comments(0) | - | 01:38 | category: 父。母。 |
■ 要介護認定。
4月4日に申請をし
4月22日に訪問調査を受け
GW明けに認定延期通知が来て
(4月は申請が多いらしい)
とにかくただじーっと待っていた
父の要介護認定の結果がやっと来た。

「要介護 1

ホッとした。

訪問調査で身体の状況は完璧に自立出来るレベルだったので、立ち会ったケアマネージャーさんも、認知症は一般的に介護認定は出やすいけれど、「要支援2」と「要介護1」のどちらになるかは五分五分だと言っていたから。

何が違うって1ヶ月あたりのサービス利用限度額だ。

「要支援2」だと104,730円
「要介護1」だと166,920円
(※自己負担はこの1割または2割)

何にどれだかかかるのかもまだよくわからないのだけれど、私が福岡で仕事を続け、離れている父に一人暮らしを続けさせるためのバックアップ体制を整えるのには、やはり枠が大きい方が助かる。

まずはケアマネージャーさんに報告をして
ケアプランの作成を依頼。

今週末の脳神経外科通院のための帰省で、車がなくなってからの生活状況と父の希望を確認するつもりだけれど、とりあえずは
・通所サービスを週1回程度
・家事支援(主に見守り)を週2回程度

くらいからかな。

ケアマネージャーさんとの打ち合わせは28日になるから、サービススタートは早くても6月以降。

電話で話す限り、車のない生活になっても父なりに頑張ってバスに乗ったりタクシーに乗ったり歩いたりしているようで、物忘れや勘違い間違いを報告してくれる会話にも破綻は感じられないので、まだ大丈夫って思うのだけど、でも今のほぼ自立している状態をなるべく長く維持するためにも、大丈夫なうちに色々考えておかないとね。

アリセプトの服用が始まって1ヶ月ちょっと。
その効果もあるのかなやっぱり。

あと、私が帰省するほんの数日の間にも怪しい勧誘の電話がちょくちょくかかっていたので、電話の転送サービスもスタート。
指定番号「以外」すべて無条件転送の設定に。
月額650円。

怪しい番号は取らないけど、着歴から電話番号検索すると、やっぱり口コミ満載の怪しいものであることがほとんど。
高齢一人暮らしには魔の手がいっぱいなのだと改めて実感させられる。
変なものに引っかかる前に対策できてホントよかった。
…母で懲りてるからね。


父のことに関しては、出戻り一人娘はとにかくすべてを一人で背負うしかないのだけれど、他にも色々と重なりに重なりまくって、眠くても寝付けない、眠ってもすぐ目がさめる、な状態が2ヶ月くらい続いているから、今はとにかくぐっすり眠れるようになりたいのです。
| comments(0) | - | 23:21 | category: 父。母。 |
■ 父に車をやめさせるプロジェクト。
父がアルツハイマーと診断される前から心配していたのが車の運転。

今年の5月26日で車検が切れるので、車検を受けるのはやめて車の運転は終わりにしようと、年明けくらいから説得を試みていたのだけれど、父にとって車の運転というのはどうやらプライドの一種であるらしく、これがなかなか難航していた。

廃車と免許の返上。

一刻も早い方が良いと思ってはいても、説得を素直に受け入れる日もあれば、「国が自分の運転能力を認めているのになぜ返す必要があるのか」と抵抗する日もあり、また田舎の生活の便としての車の重要度もあって、車検ギリギリまで許そうか...という状況で。

そんなこんなの中でのアルツハイマーの診断。
そして介護保険申請。

ケアマネージャーさんから、アルツハイマーの診断が出たのに運転を許していて万一事故を起こした場合に、家族の責任問題にもなり得ると言われ、いよいよ私も鬼になる決意で迎えたゴールデンウィーク。

5/6にお休みをもらえたので、5/3〜8の5泊6日をすべて父に車をやめさせるプロジェクトに費やす覚悟で博多駅に向かったら...

唐突に叔母からの電話で、父と一緒に知人のお見舞いに行くことにしたからと。
で「父に車でウチまで来いって言ったの」って言うから胃がキューっとなった。

実家から叔母の家まで車で約30分。
交通量の多いバイパスを経由しなきゃいけない。

慌てて叔母に事情を説明したけど、父は既に家を出た後で。

「うちまで来たら後はちゃんとするから」という叔母の言葉に4分の1くらいはホッとしたけど、とにかく叔母の家まで無事にたどり着けるのか。
祈るだけ、という状態で新幹線で帰省。
家で父の帰りを待つことに。

しかし夕方になっても帰ってこない。
で、叔母の家に電話したら、父が車をぶつけて乗れなくなったと。

ああああああああ
朝キューっとなったままの胃がさらにキューっとなる。

よく聞くと家の前で駐車するのに他の車を避けて壁にぶつかっただけで怪我もないらしいけど、ガラスが割れて乗れる状態ではないと。
叔母の家は強烈な斜度の坂の上にあるのだ...はぁ。

で、叔母に送られて帰ってきた父は、まぁケロっとしたもので。

他の車にぶつけたり人に怪我させたりもなく、車をやめることを受け入れる大きな理由が出来たという点で、ある意味ラッキーと思うことにしよう。

翌日引き取りに行くと、何処かの国のタクシーみたいに風通し良さげな車が。


さよならさよなら。
父を最後まで無事に運んでくれてありがとう。

このことを父が忘れてまたゴネることを想定してきっちり写真に収めました。
あとは免許の返納手続きだけ。

ちなみにこれ、三菱のekワゴンだけど、年式が古いため補償対象ではないようです。

さて、介護保険の方は4月22日に訪問調査を受けて、あとは審査結果待ち。
訪問調査に立ち会ってくださったケアマネージャーさんの予測では「要支援2」か「要介護1」のどちらかだろうと。

「要介護1」が出ればしっかりしたケアプランが作れるのだけどな。

あと色々と電話勧誘なども多いようなので、電話の転送サービス「ボイスワープ・セレクト」を申し込んでいたのも手続き完了。
少しずつだけどアルツハイマーの一人暮らしサポート体制を整えています。
| comments(0) | - | 23:00 | category: 父。母。 |
■ 診断そして申請。
急激に物忘れがひどくなった父の様子に不安を感じ始めたのは去年の夏頃。
それでも84歳という年齢を考えればそんなものかもしれないと思ったり、というか、思おうとしていたのかな。

とにかく一度、市の包括支援センターに相談したほうがいいと友達に勧められていて
3月に白内障の手術で入院するときに民生委員さんに挨拶したら同じことを言われ
専門医に診てもらっていた方が手続きも早いと聞いて

土曜日に脳神経外科に父を連れて行った。

血液検査
血圧
問診(家族・本人)
歩行テスト
認知症診断テスト
レントゲン
MRI

これだけの検査を受けて
2日後の今日、診断が出た。

VSRAD 4.58
アルツハイマー型認知症
それもかなり進んだ状態であること
それに隠れ脳梗塞がかなり広い範囲にあること



「アルツハイマー」

この言葉に腹の底のあたりからじわじわずーんと鈍いショックが湧き上がってくる。

疑ってなかったかといえば嘘になる。
あれ?と思うことは確かにあった。
でも、打ち消して違うと信じようとしてたのかな。

とりあえずアリセプト3mg
2週間分を処方された。

それから予約していた市の包括支援センターへ。
医師からの診断を告げ、介護保険の申請を提出。
あと介護保険証の再発行手続きも。
そして各種サービスについて説明を受けた。

まずはケアマネージャーを決めること。

特に独居で家族が離れている場合は、ケアマネを早く決めれば要介護状態の審査の段階からサポートを受けられる利点があると言われた。
また業者は家族が選んで直接申し込む方が受けてもらいやすいらしい。
とはいえ何を基準に選べば?

そんな思いで実家に帰宅したあと、せっかく平日に休みを取ってきてるんだし福岡に戻る電車までの時間に1件でも当たってみておこうと、まずは以前に母が入所したグループホームの母体である病院の介護相談室に電話してみた。

管理責任者が不在で、電話を受けたのがケアマネさんで、色々状況や希望などを聞かれた。
受けられるかどうかを管理責任者に確認して連絡するとのことで、明日になるかと思っていたら、10分後くらいに電話があって受けてもらえると。

訪問調査の日程調整もしていただけるとのことで、ケアマネさんを早く決める利点を早速享受。

医師からは先々の施設介護についても考えておくよう言われている。
認知症があっても他人に迷惑をかけない状態であれば出来るだけ長く父の望むよう自由に自力で生活させてあげたいと思っているけれど、現実は色んなことが私が思って(願って)いるよりも早まるのかもしれないな。

他にも色々あってちょっとHeavyな3日間でした。
 
| comments(0) | - | 00:44 | category: 父。母。 |
■ 時は来たり。

今年もなんとか無事に父とのお正月を
迎えられたことにホッと一息。

だけど物忘れが激しくなったことに
不便や不安を感じるようになったらしく
私としても、いよいよ色々と具体的に
考えなくてはならない時が来たことを実感。

父の好きなように生活させたいとは思うけれど
車なしでは成り立たない今の実家の環境は
生活の安全を確保するにはかなり厳しい。

私の希望としては、
車なしで自立した生活ができるけれど
最低限の見守りがあるしかるべき施設に
入所してもらえたら安心なのだけれど。

まだギリギリ大丈夫だと思える今のうちに
父の希望や考えをはっきりと聞かなくては。

そんなことを思っての帰省だったので
いつ切り出すかぐずぐずとしていたのだけれど
帰省3日目にやっと話すことができた。

父もいずれは私の希望しているような生活への移行を
考えないわけではなかったらしいけれど
「まだ先の話」という感覚でいたそうだ。

もちろん今はまだ「先の話」ではあるけれど
それはごく近い「先」なのだということ。
だからそのための情報収集を始めるということ。

私自身が、確認をするように、ひとつひとつ。

少しでも長く多く
この太く短い年越しそばが食べられるように
父の生活を守るということが
今年の私のテーマなのだろう。


 
| comments(0) | - | 23:25 | category: 父。母。 |
■ いとこの距離感。
写真.JPG
横須賀から車で16時間、
叔父といとこ一家が実家にやって来た。

会うのは4年ぶりくらいだけど
みんなで山口まで来てくれたのは私たちが子供の頃以来
おそらく30ン年ぶりなんじゃないかな。

父の兄弟も母の姉妹もみんな
てんでバラバラの土地にいて
いとこ達と会うのもしゃべるのもいつも
ホントに何年ぶりかってことばかり。

子供の頃は再会してもしばしの間
人見知りな時間があったりしたけれど
大人になるとその時間が必要なくなって
会えばすぐに打ち解けた会話ができる。

一人っ子の私にとっていとこ達は
とても大切な存在。

たまにふっと、どうしてるのかなと思うくらいで
特別何をするということもないのだけれど。

とうとう子供を持つことも出来なかったから
いつか父を見送るときがきてひとりぼっちになったとき
それでも血のつながった人がいると思えることは
やっぱり心のよりどころになるのだと思う。

そんなこんなで今回、
すっかりしっかり母になった従姉妹は
眩しくて頼もしくて嬉しくなった。

しかし人見知り年齢まっただ中の娘っちには
どう声をかけていいかもわからず
少し離れたところから興味深く観察するばかり。

私も相当な人見知りの子供だったから
話しかけられることの戸惑いがわかるだけ余計に声かけられなかったりもして。

ま、彼女がもっと大人になれば
少しは話せるようになるでしょ。

そして30ン年前にみんなで一緒に行った
秋芳洞と秋吉台へ。

やっぱり親族ならではの珍道中で
笑える思い出がまたひとつ増やせたかな。
写真も早くちゃんとプリントしてみんなに送らなきゃ。

3日間、父も嬉しそうで楽しそうでよかった。
来てくれてホントにありがとうね。

写真.JPG
 
| comments(0) | - | 19:18 | category: 父。母。 |
■ 七回忌。
写真.JPG
母との別れは
ついこの間だったような
うんと昔のことのような

6年か...

けれどあの日のことはまるで色褪せず
最後に母と視線を交わした瞬間のことは
いつでも何度でも鮮やかにプレイバック出来る。

後悔や無力感や罪の意識や
寂しさや悲しさや歯がゆさや
いろんな感情が詰まったフィルムのように。

そんな思いを抱えて生きる身に
時々やってくる区切り。
それが法事なのだなぁと改めて思う。

段取りとか手配とか準備とか
そういうのを「する」ことが
親離れのステップなのかもしれないね。

だけど今はまだ
健在の父に甘え頼っているのだけれど。


葬儀、一周忌、三回忌と続く初めの2年が過ぎた後
我が家に親族が集まるのは4年ぶりになる。

父はもちろん叔父叔母たちにも
4年という時間は決して短くないということを
実感させられるひとときでもあった。

次は十三回忌。

6年後、
実家の庭には何が実っているだろう。

写真.JPG
| comments(0) | - | 13:45 | category: 父。母。 |
■ 母と遊ぶ。
140517_202120.jpg
GWに実家で発掘した
南部鉄器の急須。

母が遺した物は
結構ツボにはまる。

今年はもう七回忌なのだけどね。

母の仕掛けた宝探しゲームは
まだまだ続きそう。
| comments(0) | - | 20:37 | category: 父。母。 |
■ 父と温泉。
写真.JPG

父と一緒に天草・下田温泉へ。

博多駅で合流したのだけど
足腰もかなり弱って
すっかり物忘れもひどくなって
最近パニックに陥りやすい父が
ちゃんと一人で来れるかなとか
とにかく心配でたまらなくて。

まぁ博多駅に登場したご本人は
ケロッとした顔してたけど。

旅行という、いつもと違う状況の中では、実家に帰省したのでは見えないことに気づいたり、忘れていたことを思い出したり。

思っていた以上に足元が覚束なくなっていることとか、新しい情報を受け取れる量がどれくらいなのかとか、そして、あぁこういうことに興味があったよねとか、ああいう物には昔から目もくれないよねとか。

子供の頃はあちこち連れて行ってもらったし、一人っ子の私の遊びに付き合ってくれたのも父だったし、性格も受け継いだところが多い気がするから、今の私を形造っている要素のかなりの部分に父の影響はあるのだろうな。

心配性なのもその一つ。
間違いなく。

博多駅に帰り着いて
またそこから一人で帰る父を
ちょっとキーッとなったりしつつ
ドキドキ見送って
無事に帰り着いた一報で
やっと私の旅行も終了。


心配し過ぎて自爆するから
父を連れての旅行なんて
もうとても私一人じゃ無理だなぁと
改めて思う。

計画を聞かされてからも
やっぱりやめとこうよとか
無理に遠くに行かなくてもとか
今回も何度心折れそうになったか…

それをふわふわっとスルーして
実現させてくれたパートナーに
心から感謝です。

また行けるといいなぁ。
| comments(0) | - | 12:11 | category: 父。母。 |
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